主さんの忠犬ときどき猫

主さんとのことや日常を綴ったブログです

思いはもっと純粋です



主従とも、主さんのこととも何も関係ないことなのですが、ふと心に浮かんだことです。
少しモヤっとしたので書いてみようと思いました。









純粋であることが時に気持ち悪く取られることもあります。
おかしな事件もありますから確かにそんなケースもあるのは理解します。。
そういう純粋さと紙一重なのかもしれませんが、真っ直にある対象を慕ったり思ったりすることは特異なことなのでしょうか。




大人になるということは、純粋に何かをしたいという気持ちを忘れてしまうことなのでしょうか?
ただ単にそうしたかった、意味もなくということもありますが、意味づけをする前にただそうしたかった、それだけではいけないのでしょうか?




裏をかく必要があったり、勘ぐらなければならなかったり、世間一般のものの見方にあてはめられた時、私は随分と窮屈な思いをすることがしばしばあります。




もっと打算的にズルく考えられることが一人前の大人としての魅力なのでしょうか?
単純な人間は面白みに欠けますか?



損をするからと例え言われたとしても、自分の信じるところを時には大切にしたいと思います。
私の思いは何の影響も受けずに純粋で、白黒、上下左右、どこにも属すものではありません。


理解など必要としませんので、静かにほうっておいてくださいと申し上げたいです。

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