主さんの忠犬ときどき猫

主さんとのことや日常を綴ったブログです

飼われている実感



些細なことで、短い間隔で揉めることが多々あります。
楽しいこともありますが、主従の様子はあるとは言えお互い人間同士、意見や考え方の違いがあり主張しあえば当然の結果です。



普段は素直になれない私の性格が揉めごとに繋がっているのだと自覚はあります。


主さんからも指摘されました。
「本当に素直じゃないね」



分かっていらっしゃるのにここまで付き合っていただけるのですか?と、我ながら主さんには驚いてしまいます。



私が素直になれるのは調教の時間だけです。
絶対に勝てない、服従するしかないことを意識した時だけは、反抗心も意地っぱりな一面も表には出てきません。



毎度ながら厄介な性格だと思います。




揉めた翌日にお会いした時のことです。
二人で前に進んでいこうと決めたことを全てなかったことにしようと悪態をついた私は気まずくて…。
二人だけの時間になると、申し訳なさもあり、主さんにお会いしてホッとしたこともあり、涙が止まりません。


主さんは声を荒げるようなことはほぼなされません。
この時も、叱られた方がマシだと思っていましたが、全部お見通しだと言わんばかりに優しくひとつずつ諭していかれます。


いつも優しくて私のことを大事に扱って下さる主さんが大好きです。


そして、
「今日は抱かれたいよね?今度はきちんとお仕置きしようか」
と…。


今まで私が何をやらかして、結構な手間のかかることをしても主さんはお仕置きという言葉を口にされたこともありませんでしたし、主さんからお仕置きとして何かをされたこともありませんでした。


「嬉しいよね?」


私の気持ちなど見透かされています。
嬉しくないはずがありません。



「本当は毎回挨拶させられて、頭も踏まれたいんだよね?物みたいに扱われたいんだよね」



その通りです。
主さんの支配をもっと感じたくて仕方がありませんでした。
お仕置きも、踏み付けも、彼氏や配偶者と言ったノーマルの関係ではできないことです。
飼い主さんと私が認めて、そこに跪いたからこそ成り立つ関係で、受け入れられる行為です。



もしかしたら、私はお仕置きが欲しくてずっと意地を張って悪態をついていたのでしょうか…。



あまり放任されるのは好きではありません。
帰る場所がなくなってしまったのではないかと、不安になってしまうから…。
自由が大好きと言いながら、本当はしっかりと首輪をつけられて繋がれていたい。
飼い主さんには、きちんと躾けてもらいたいし時には罰だって与えられたい…。
それが私にとって「飼われている」という実感だから…。

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